「コンビニ」が描かれた作品に焦点を当てた24年最新個展
吉岡雅哉 個展
みんなのコンビニ
2024年11月7日(木) - 12月1日(日) 12:00-19:00 休廊:月曜日 東京都台東区東上野4-14-3 2F
画集「思春期」第3弾も刊行予定!
今日もみんなのコンビニを描いた。
みんなのギャラリーはこの度、吉岡雅哉の個展「みんなのコンビニ」を開催致します。
初期作から最新作に至る、各時代の「コンビニ」をモチーフにした絵画作品に焦点を当て、作家の変遷を辿りながら、コンビニが映し出す日本人の実存と原風景を探ります。
「コンビニ」は、吉岡が長らく描き続けているモチーフであり、どこにでもある日常を舞台に、非現実的な状況が展開する吉岡の絵画における代表的な風景の一つです。そんなコンビニが吉岡の絵に登場するようになったのは2004年のことで、きっかけは彼が暮らす地方のある街に突如コンビニが現れたことでした。周辺は農地で、夜になれば暗闇が支配するような場所。コンビニだけが煌々と輝いている様子は、吉岡にとってまさに未知との遭遇だったのです。この出会いから描いた作品が「ひかりのあるところへ」という作品で、コンビニをモチーフに描いた最初期の作品です。
吉岡はコンビニの存在を、横尾忠則氏のY字路シリーズ、あるいはゴッホやホッパーの夜のカフェと重ね、直感的に絵になるものとして捉えました。以来コンビニは、吉岡の絵画における重要な舞台となっていったのです。
コンビニを描いた作品をめぐっては、発表当時から賛否が巻き起こりました。批評家からは「通俗的で、こういうテーマはそのうち作者自身が飽きるだろう」と言われるも、コンビニの前で男女が交わる様子が描かれた「入学式」という作品は、2008年に石原慎太郎東京都知事(当時)に推され、東京都主催のコンペ「トーキョーワンダーウォール」でワンダーウォール賞を受賞。にもかかわらず本作はその後、都庁で行われた受賞者展への出展を拒否される事態に陥り、その評価を巡って周囲が二転三転するような状況でした。
コンビニが描かれていたシリーズの作品は都庁展以前にも、やはり都の施設での展示歴があったのですが(そういった経緯からも出展拒否の流れは矛盾していますが)、当時の作品に対する評価は「利便性の追求、商業主義、過剰報道など、現代社会の持つ負の要素への抵抗が暗示されている」というものでした。しかし、実際のところ吉岡にとってコンビニは、当時から今に至るまで、あくまで絵になるという直感から描いており、コンビニの社会的な象徴性を作中で際立たせようという意図はありませんでした。
発表当時のコンビニが大衆消費社会の権化のような存在だったとして、現代におけるコンビニは、人々にとって重要な社会インフラとして機能している面がより強くなっています。コンビニのある風景がいかにも日本的であることはまた、海外からの訪日客が富士山とコンビニが見える何の変哲もないスポットに殺到したことで顕在化し、日本人に戸惑いを与えました。コンビニの象徴性が時代とともに変化していることを考えれば、それでもなおコンビニを描き続ける吉岡のスタンスは一貫していて、通俗性を表現するために描いているのでもなければ、現代社会の負の要素への抵抗を暗示するために描いているのでもなく、またそれ以外のどれでもないことが分かります。それゆえに、吉岡のコンビニを描いた作品をめぐる評価は、常に見る側の視点の時代性を反映することになるようです。
コンビニ作品を巡る長い旅に変化の兆しが見えたのは、2023年のことでした。都庁展でお蔵入りとなった受賞作「入学式」を含め、コンビニを描いた作品が、国内最大級のアートフェアといわれる「アートフェア東京2023」に登場したのです。このときの4日間、作品を見た来場者の反応が20年前とすっかり変わったことを、会場に立っていた吉岡は感じたのでした。
コンビニが描かれた吉岡の絵画を私たちは今、どう見るのか。作品を通じて見える私たちの実存とは。本展は、コンビニが描かれた作品のみによる構成で、その姿を浮き彫りにします。
吉岡雅哉
Masaya Yoshioka
日常の景色、出来事、人物を対象に、その影響から生まれたイメージを長年に渡り描き続けている。青の時代、囚人ファイル、お月見、思春期、庭いじり、西海岸、コンビニなど、作中のイメージ・世界観は繰り返し描かれ、完結をみない長編小説のようにシリーズ化している。
◆受賞 トーキョーワンダーウォール賞(2008年)、とよた美術展'07審査員賞(2007年)、シェル美術賞 蔵屋美香審査員奨励賞(2006年)、交換する種 Vol.2 アドバイザー賞(2006年)
◆コレクション
The Jean Pigozzi Collection Of Contemporary Japanese Art
吉岡雅哉展によせて 野崎あんにん わたしはAV監督という仕事を生業にしています。性別は女で、既婚です。そのことに興味や疑問、嫌悪感などを抱く人もいらっしゃるでしょうが、今回は特に本題と関係ないのでご興味ある方は各自でインターネットで検索などなさってください。 数年前に都内でお尻やそれにまつわるエロスをテーマとした展示があったので行きました。そこで吉岡雅哉さんの作品をみました。印象派を思わせるような筆致の油彩で、草むらでお尻を出している女性の絵でした。それはその会場でも異彩を放っており、わたしは安らいだ、落ち着いた気持ちと禍々しい興奮するふたつの相反する感情に包まれました。その気持ちを具体的に説明するのは難しいのですが猥雑さと崇高さを同時に持つことのできる、わたしの好きなもの、であるのは間違いないことでした。この人の作品をもっと見たい。そこから吉岡さんのSNSをフォローし、ギャラリーでの個展にも足を向けるようになりました。 わたしはAVを撮っているので世間的にはエロスというものを仕事にしているのですが、その仕事の最大のテーマであるエロスについては「興味はあるけどさっぱりわからない」という状態が続いています。そのわからない人間なりに吉岡さんの作品から非常に好感の持てるエロス、いや「エロさ」を感じたのです。エロに携わる人間がエロいと感じるのです。この魅力が多くの人に伝われば幸いです。 そういえば初めて作品を見たときに同行した夫が、「絵があまりにも鬼気迫っている。ひょっとしたら危ない人かもしれない」と心配していました。わたしも万が一、そういうこともあるかもしれない、と思いました。ここまで独特の作品を描く人なのだから厄介で付き合いにくい部分があるのは不思議ではない。でも杞憂で、とても誠実な感じのいい人でした。ご結婚もされており、こちらが一方的に思っていた、自分の美学で城を作ってそこに籠っているような人間的に難しくなってしまった芸術家ではありませんでした。 正直、失礼な誤解ではありましたがそこまで吉岡さんの作品に唯一無二のものを見てしまったので、自分の理解の外にいるような人を想像してしまったのです。 個展に何度か伺うようになってエロティックな女性以外にも吉岡さんの作品に頻繁に登場するものがあると気づきました。 それがコンビニでした。 どこにでもあるコンビニを独特のタッチで多数描かれていました。何気ない風景が吉岡さんを通すことで特別な意味を持っていきます。わたしたちの日常を作品にまで高めた素晴らしいものだと思います。聞けば20年前にある批評家から、俗なモチーフであるから作家が描いていて飽きる、といわれたらしいです。それを飽きずに今日まで続けてきた行為は尊敬に値します。そんなコンビニの絵だけで個展が開かれるというのでわたしはとても嬉しく思い、そして興奮もしました。 なのでいろんな人に今回の個展の話をしたのですが何割かの人は「コンビニの絵?」という反応。疑問だったり、そもそもどうしてそういうことをするのか理解できていない様子。わたしにはとてもポップでわかりやすく感じるのですがそうでもないみたいでやはり万人受けは難しい。でも満場一致で称賛されないものだからこそ素晴らしいと考えます。 ひょっとしたら性的なことを描くこともそうですし、コンビニ絵についても多くの人が「それは通俗であって芸術ではない」という先入観、偏見にまみれているものではないでしょうか。わたしが関わるAVというものも通俗の極みとして多くの人に消費されながらまるでこの世に存在しないもののように扱われて消えていくものです。わたしはそうやって通り過ぎていくように生きていくのも嫌いではありませんが、吉岡さんのような人はそういう泡沫の存在から何かを見出す。見出していただける人なのかもしれません。 今回のコンビニ展ではいままでご挨拶程度だったのですが、初めて吉岡さんと長い時間お話しするという機会に恵まれました。予想通りだった部分も意外だったこともありましたが、いえることは作品もご本人も魅力的だということです。 ぜひとも吉岡さんには無情で儚く、そして魅力的であると同時に憎たらしいこの世界を油彩で次々と生け捕りにして多くの作品を発表していただきたいと思う所存です。わたしもAVを撮り続けます。
Previous Exhibitions
▼
▼
Solo Show
the PAST
and FUTURE
Season2 (Spring '24)
吉岡雅哉画集「思春期 '24 春」
画集「思春期 '24春」は、24年3月に開催した個展「来し方行く末 シーズン2」の展示内容を集録した画集です。(表紙画像は仮です)
今展に合わせ、会場で発売予定です。